ごっそり読み終わった


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 むにゃぐずと起きだしお風呂へ向かう恋人をビデオ通話越しに送り出して自分はしばらくインスタグラムを見たりツイッターを見たりした。数か月前と比べるとインスタグラムを見る割合はぐんと上がった。それはもう。数年使っていたツイッターのアカウントを複数削除してからというもの、匿名で語られる文字をあまり見なくなったし、匿名で文字を語ることもなくなった。今使っているアカウントでは自ら何かを発信することはほぼなく、主に読んだ本や作った料理を上げている人のつぶやきと写真を見るために開いている。インスタは一日に何度も投稿する人は少ないしツイッターは十人ほどしかフォローしていないのですぐに見終わり、私も風呂に入った。

 洗濯を干し、軽く部屋を片付け、あちあちのコーヒーを飲める温度にしている間に掃除機かけと髪を乾かすことをした。恋人が使っているものと同じ、ミルボンの洗い流さないトリートメントを使い始めたので家に一人でいるだけでドキドキできる。うれしいがかなしい。かなしいがうれしい。昨日コンビニで買ったけどお腹がいっぱいで食べられなかったチョコバナナクレープを食べた。きじがとてももちもちで、バナナがごろっと入っていておいしい。嫌いだったバナナがいつの間にかおいしく感じる。とても人間の飲み物と思えなかったコーヒーを時間をかけて入れている。生まれてから相当の時間を過ごしてきたことを実感する。朝食はレオモンの「ぼくのなつやすみ」の実況を見ながらとって、食べ終えた後もしばらく見た。都会っ子の少年が田舎の親せきの家で夏休みを過ごすゲームを、毎日一日分ずつプレイして投稿している動画。毎年リアルタイムで見るけれど数日見れなかったりして溜まっていき、結局みなくなるのが恒例になってしまっている。何度も最初から見返そうとするも最後までたどり着かないということを繰り返していたが、今日一年目の動画をすべて見終わった。最終回に見覚えがあった。どうやら一年目の動画は全部見ていたようだ。と思ったことも過去にある気がするので、何週かしているっぽい。そういうことが読書においてもよくある。「ぼくのなつやすみ2」の実況動画を見ながら手帳にここ数日の出来事を書いた。

 「読書の日記」をぱらぱらっと読んで、昼食をとり、「記憶破断者」を読み始めた。小林泰三を何で知ったんだか忘れてしまったけど、大変面白いなと思いつつ作家追いまではしていなくて、でも亡くなったと報じられたときはすごく悲しかった。その数日後書店で小林泰三の著書を見かけてなんだかぐっと苦しくなってしまった。そんな小林泰三を読んだ。彼の言葉は大変読みやすく世界に浸りやすい。ベッドの上でゴロゴロしながらもくもく読んだ。もりもり読んで、恋人とLINEしながら読んで、すっかり読んで、ごっそり読み終わった。記憶が数十分しか保てないことからすべてのことをノートに書き記し、数十分ごとにノートを読む主人公が、記憶を改ざんすることができる能力を持つ男と戦う話だ。とんでもない能力の持ち主だ。そんな能力を持てば私は働かずこっそり金を得て静かに暮らすことを選びそうだが、この男は、私と同じく力を行使し金を得るが、まったくこっそりでも静かでもない。何をしても記憶を変えられるからとむりやり何でもやりたい放題だ。しかし頭が切れるというわけではなく、敵としての恐ろしさは残虐さの一点と言ってよくて、ゾゾっとするほどでもなくて、おうおうと楽しく読んでいた。終盤は記憶の脆さや記録の曖昧さを考えさせられ、完璧に思われた主人公の事細かにノートをとるという記憶がもたないことへの対策ももしかしてすきだらけなのじゃ、とちょっとひんやりし、そして最後にはギャッとなった。ギャッとなって、様々なことを考えて、ギャアッとなった。あぁこわかった。

 早くに恋人とビデオ通話を開始して、恋人はすぐぐっすりと眠った。たぶん二十一時にもなっていなかった。そんな時間に私は眠れるはずもなくて「読書の日記」を開いた。ぱらぱら読んだ。そろそろ買って一年くらいになるけど読んでなかった時期もあるのでまだ三五二ページ。あと七四八ページも読める。通話画面を見ると薄暗い部屋で寝ている恋人が見える。大変かわいらしい。でもビデオ通話にも悪いところはある。恋人の部屋に人影が見えてしまったら、とか、私の後ろにだれかいたら、とか、かんがえてしまうところ。あぁこわかった。ではすまない。布団に潜り込んで、寝た。