家事はいつだって面倒だけど


 洗い物するタイミングって一体いつ? と、実家を出てから常々思っている。いや、大半の人は食事を終えた後にしているのだろうなということはなんとなくわかる。でも食後って、何もしたく無くない? 私は食器を流しに持って行くのすら面倒で、起床してリビングに行くと前日食べたあとのものがそのままテーブルに並べられているということがよくある。よくあるというかほぼ毎日だ。お風呂に入るのも面倒になるので先に入浴を済ましてからご飯の用意をする。
 私の洗い物のタイミングはこうだ。まず前日使った食器を流しに運んで、朝食なり昼食の準備をする。焼いたり煮込んだりチンしたりのタイミングでそれまでに使った料理道具と前日の食器を洗う。料理が出来たら使い終わった分すべて洗って、ご飯を食べる。食べ終わったら、そのまま、自室に戻る。以上。
 いつものルーティンなので疑問はなかったが、書き出してみると無駄が多いなと思う。ちょこちょこ洗うので一回の量は少ないけれど、結果時間はかかっている気がする。一日の終わりに洗い物が残っているのもなんか気持ち悪いし。
 しかしどうしても満腹になってからは家事をする気になれない。
 食後に洗い物をする人はえらい。
 食洗器の導入を考えるほど苦痛だ。しかし今現在私は友人とルームシェア中で、置き場もなければお金もない。具体的なことなんて何にも考えていないけれど、引っ越したいな、とも思っている。ルームシェアを解消して。となれば身軽な方がよろしいから、大きな買い物は控えたい。ただでさえ大きな冷蔵庫、洗濯機を買って、この部屋の契約が切れた後、どう分配するか問題は面倒だからと目を背けているというのに。


 

 

 ココアをすすっていると誰かが問いかけてきた。
 「あなた、どうしてここに住んでいるの?」
 私は答える。「何という愚問。それはだね……あれ?」首を傾げ、マグカップをコースターの上にちょこんと置いた。
 のちに同居人となる友人と彼女の家で借間情報を見る際、彼女の職場付近で探していた。私はプラプラしている身であったので、場所はどこでもよかったのだ。そして現在住んでいる家はその時見ていた町である。
 しかし、同居人は研修期間を終え職場が変わった。運の悪いことに、通勤時間が伸びてしまった。そして私も家を決めてから労働場所を選んだというのに、通勤時間は一時間くらいである。なにゆえ。
 家の前には田んぼがある。夏は暑く冬は寒い。夜道は暗く、狭い道のわりに交通量は多い。駅までは私の長い足を持ってしても、歩いて十五分はかかる。(これには私が歩くのがトロイだとかの所説はある。)
 周辺にあるものといえば、悪魔の洋菓子店だったり妖魔の居酒屋たちばかり。財布と体重に非常に効く。

 「どうしてここに住んでいるの?」
 私は問いかけた。


キーボードを叩いていると指先が悴むようになってきた


 朝、7時に目覚めて軽く部屋の掃除をし、洗濯機を回している間に、すでにベランダでずんと堂々たる姿でつるされている洋服たちを、あるべきところへあるべき形でしまってやる。コーヒーを飲んで読書をしているうちに洗濯機がとまったのでさささっと干してしまう。リビングやトイレ、お風呂場、脱衣所の掃除まで済ませて、すがすがしい気持ちで家を出る。
 向かう場所はスーパー銭湯である。遅めの出社人たちに紛れてゆっくり歩いて30分。奇麗で風呂の種類も豊富だというのに780円と相場より安いその銭湯は、平日の朝一はほとんど人がいない。ゆえに、サウナも露天風呂も炭酸風呂も私の貸し切りである。まずは体の汚れを落とし、内湯につかる。足の先からとろけるようだ。今日は暖かくなるということだが、朝のうちはやっぱり冷える。芯まで温まり、少しぼうっとしてきたところで本命、露天風呂である。天気がいいのでとっても気持ちがいい。さわやかな秋の風とぽかぽかの太陽、暖かい温泉に、先ほどまで睡眠をむさぼっていたというのにうとうとしてしまう。
  サウナ、炭酸風呂とたっぷり堪能した後は自宅付近の喫茶店へ行き早めのランチ。エビフライとハンバーグ定食で満たした腹に、熱いコーヒーをドリップしていく。食後のお供はスティーブンソンの『宝島』である。おじさまおばさまの大阪弁がこしょこしょと耳に届く喫茶店で私は旅に出る。航海の末、ようやく宝島についたところではたと気が付き、冒険をいったん止めてスーパーへと戦場を変える。買い物かごを手にぶらぶらと食材を見て献立を考えているとスマホがぴこぴこと鳴り、そういえば昨日くらげがシチューを作っていたな、とブロッコリーやニンジン、ジャガイモを探す旅に出る。


 ここまでが、昨日の時点での、今日の予定である。
 実際の今日の私というのは、おきたくない、おきたくない、と寒さにふるえながらぷるぷる掛布団にもぐりこみ、やっとのことで起きる決心をつけたのが10時ごろ。今から用意して向かったのでは、スーパー銭湯は多分混んでいるのだろうな、と人込み嫌いの私はしょんぼりし、自宅の風呂に入った。髪をガシガシ乾かしながら洗濯機を回し、洗濯物をと入れてたたみ、ざっと家の掃除をしてごろごろ。動画を見て、本を読んで、また動画を見て。洗濯機が「終わりましたよ」と声をかけてくれても「知らん知らん」としばらく無視をしてみたが、開けっ放しにされたカーテンからあふれる暖かな日差しに当たれない洗濯物たちがかわいそうになり、重い腰を上げて彼らを回収しに行く。
 家事を一通り終えると、所用を済ましに家を出た。所用はすぐに済んだ。しかしせっかく顔の上半身のみとはいえ化粧をし、かわいらしい服を着たのでもう少し外にいたくなった。
 駅前のミスタードーナツへ寄ることにする。今日から新しいドーナツが販売されているのだ。チョコレートの美味しそうなやつ。新作三つとオールドファッションのチョコがかかったやつを買い、再びぷらぷらと歩く。太陽がまぶしく、大変に暖かい。たまに吹く風が心地よい。肩にかけたかばんには本が入っているので、どうせなら公園のベンチで腰かけて、本を読みながらもしゃもしゃとドーナツを食べよう。自宅を通り過ぎ、少し先の大きな公園へとうきうきで向かった。
 しかし、である。大半のひとが学校や職場で過ごす平日ではあるが、この時点でおやつの時間は過ぎてしまっている。つまり、遅くまで勉学に励む学生や終電ギリギリまでキリキリ働く社会人ならまだしも、走り回って遊ぶようなちびっこたちはとうに下校しているのである。
 主に昼から夜中にかけて外出する私は、すっかりそのことを忘れていた。着いた先の公園では、ちびっこが保護者同伴できゃいきゃい楽しそうに遊んでいた。
 小心者のオタクは「この状況ではとてもゆっくり本を読んではいられない。ミスタードーナツを食べようものなら、ちびっこの大群が寄ってきてしまう。それにもし、親御さんに『ゴミが出るような飲食はお控えいただいてよろしいでしょうか』なんて言われた日には、この町を出るしかない」とぷるぷる震え、自宅へと引き返した。あんなにも暖かかったのどかな道を、急に冷え込んでしまったかのように肩を丸めて歩く。なんとかわいそうなことか。
 自宅に戻ると、私は私のためにコーヒーを入れてやった。電気ケトルでお湯を沸かし、お気に入りのマグカップを出した。ドリップしながら温めたマシュマロを、あつあつのコーヒーに浮かべ、ドーナツと一緒に自室へ連れ込む。逢瀬である。
 本を読みながら公園で食べようと思っていたドーナツは、自宅でスマホやパソコンをぱちぱち弄りながら消費されている。自室は日当たりがあまりよくなくて絶妙にうす暗く、しかし、昼間なのに電気をつけるともったいないから、仕方なしに読書を一旦中止しているのだ。その割にパソコンは充電しっぱなしでぎゅいんぎゅいん言っているが、まぁ。


 そうこうしているうちに同居人の帰宅時間が迫ってきている。今朝風呂に入っているときに彼女に送ろうと思っていた一文を早くLINEで送らなくては。

 帰りに入浴剤買ってきてほしい~

 どうせ駅前まで行ったのだから自分で買えばよかったのだが、すっかり頭から抜けてしまっていた。あの時、わたしはドーナツのことしか考えられなかったのである。素晴らしき食欲。
 秋ですね。

 

 

夕焼けと白玉

 

  夕方、駅までの道を歩いていると遠足から帰宅途中と思われる子供たちと先生とを見かけた。細い道で二列を作りきゃいきゃいと歩く彼らの頭には真っ白な帽子がちょこんと乗っている。

  道路を挟んで反対側の道を歩いていたので、遠慮なくマジマジと見たけれど、私が彼らくらいの年齢の時に被っていた所謂赤白帽とはどうも違うように見えた。

  白は白だが、正面に何やらオシャレなマークが書いてあった。

  彼らは私が知る小学一年生よりももっとちみっこく見えたので、多分幼稚園児であろう。幼稚園のマークだろうか。そんな、オシャレな帽子がある幼稚園なんて。良いところの子たちなのだろうか。

  ちみっこい白いまるまるとしたものがゆらゆらぴょんぴょんと流れるように歩く様は、何やら面白かった。

  白玉がたくさん浮かんで流されているようだ。

  善哉川。高級住宅街のそばにあり、地域の人に親しまれる登美丘公園を囲うように流れる川。

  あまい砂糖で煮た豆が、とろとろとちっこく丸く白い園児たちにきゃいきゃい高い声を上げさせる。涼しい風が吹き、善哉川はゆるく波を打つ。白玉たちはきゃーと声を上げてどんぶらどんぶら蕩けた豆の中を揺られてゆく。小さな白玉も大きな白玉も、2つずつで並んで流れてゆく。

  こらー!そこの白玉、ちゃんとお手手を繋ぎなさい!

  先生白玉の声が響く。

  いや、先生は白の帽子を被っていないので白玉では無かった。

 

  しかし私は善哉が好きではない。白玉も豆、小豆も好きではない。小豆はこし餡なら食べられないこともないが、つぶとなると、皮をぺっとしたくなってしまう。白玉も、というか粉と水とを練って作ったもちもちねちねちしたものがどうにも苦手である。

  私が白玉であったとき、園では季節ごとの行事が沢山あった。季節の遠足はもちろん、春にはビワを食べ、夏にはスイカを割り、秋には芋を焼き、冬にはお餅をついた。

  お餅つき。園内の広場の中央に臼と杵をどんと置き、先生と共に杵を振り上げるのが楽しかった。それはもう、この行事のピークはそこであるという程には。

  しかし他の白玉にとってはまだまだ興奮は上り調子で、頂点に達するのは自分たちでついたお餅を砂糖醤油やきな粉で食すときであった。

  グループごとに席につき、4つの机をひっつけて中央にラップをひき、どんと白色の塊を乗せる。手を合わせて、いただきます! の声に合わせて、白玉たちはわっと白色に手を伸ばす。小さな手で小さく餅をちぎり、顔をべとべとにしながらもちもちと餅を食う。共食いである。当時の写真が実家に残っているが、皆がにこにこ片手で餅を持ち片手でピースしている中、私だけが両手でピースをしていた。餅を食え。

  大人になってピーマンやにんじん、なすびは食べりるようになったが、未だにもちは食べられない。お雑煮も苦手である。抹茶ももちろんのことだ。

  しかしオトナというと、京都ではんなりと善哉を食べ、餅をびよーんとのばし、抹茶をずずずと啜っているイメージがある。それになりたい。ほほほと笑いながら、ええ天気どすなとオトナな連れと談笑したい。したいなと思いつつ、珈琲をすすりドーナツを食すのだった。