ココアをすすっていると誰かが問いかけてきた。
 「あなた、どうしてここに住んでいるの?」
 私は答える。「何という愚問。それはだね……あれ?」首を傾げ、マグカップをコースターの上にちょこんと置いた。
 のちに同居人となる友人と彼女の家で借間情報を見る際、彼女の職場付近で探していた。私はプラプラしている身であったので、場所はどこでもよかったのだ。そして現在住んでいる家はその時見ていた町である。
 しかし、同居人は研修期間を終え職場が変わった。運の悪いことに、通勤時間が伸びてしまった。そして私も家を決めてから労働場所を選んだというのに、通勤時間は一時間くらいである。なにゆえ。
 家の前には田んぼがある。夏は暑く冬は寒い。夜道は暗く、狭い道のわりに交通量は多い。駅までは私の長い足を持ってしても、歩いて十五分はかかる。(これには私が歩くのがトロイだとかの所説はある。)
 周辺にあるものといえば、悪魔の洋菓子店だったり妖魔の居酒屋たちばかり。財布と体重に非常に効く。

 「どうしてここに住んでいるの?」
 私は問いかけた。


善良なる民に救いを

 
 本日の労働時間、四時間である。そして三十分の休憩があるので、きびきびと働いていたのは実に三時間と三十分。とてつもなく忙しいというほどではないし、やるのことがなく無駄に店内をウロチョロすることもなかった。一番健康に良い労働の形である、と私は大変機嫌を良くし、帰りに、いつも乗換えで使う駅の一つ手前で下車してみた。 

 岸里玉出スーパー玉出がたくさんありそうだな、と日ごろ思っていたけれど、ついに見かけることはなかった。
 ホームは閑散としていて改札口も広いのだけれど、人がいなくてなんだか異界の様だった。「無人なので、駅員が駆けつけるまで五分ほどかかります」との張り紙がしてある。天気があまりよくなく、薄暗いことも影響しているだろう。ばあ、と妖怪のひとつでも姿を現しそうであった。しかし五分ほどで駅員さんが駆けつけてくれるので安心である。
 天下茶屋方面へとひょこひょこ歩くと、古本屋さんを見つけた。店先のワゴンでは百円の文庫本や昔のアイドルのCDなどが客を出迎えている。CDを物色するおじさんと、中学生ほどの男の子と並んで本を見る。そして最初に目に入った一冊手に取り中へ入った。 

 人生一桁目であろう男の子が母親を連れてこぢんまりとした店内を歩いている。私がふむふむと本の背表紙をなめるように見ている間に、その子はお目当ての本を見つけたようだ。「これ! 絶対にこれを買う」と宣言し母親を店内中央のレジへと向かわせる。母親は言った。「あんたこれ、小説ちゃうの。フリガナついてへんかったら、読まれへんやろ。すみません、これ、中見ることってできますか?」店主がはい、はい、とにこにこと本を覆っているビニールを破る音に、「なぜ少年が絶対に買う本にはビニールが? ほかはすべてむき出しのようだけれど」と気になった私はちらりと盗み見てみた。鬼滅の刃の小説版であった。こんな小さな子供にも人気があるのか、と素直に感心してしまった。小説にルビは降られていないようで、「すみません、すみません。それ、キャンセルでお願いします」お手間を取らせて、と謝る母親に、店主はいえ、いえ、とにこにこした。 

 私は二冊の本を購入し、くるりと出口へ向かうと、でかでかと「ドラえもん」と書かれた箱がおいてある棚があり、しかし前に男性客がいてよく見れなかったから、今度来たときはあの棚もじっくり見よう、と決めて店を出た。まだおやつ時にも少し早い時間ではあるが空は橙色へと変わっていっている。
 また少し歩いて、道路の向こう側に王将を見かけた。大きな道路を挟んでいるし、何なら少し通り過ぎていたのだけれど、空腹な私は目ざとくも見つけたのである。うむ、昨日はチャーハンに餃子にラーメン、この麗し三姉妹をビールで流し込んでやりたいと思っていたけれど、昼間に見知らぬ街でそんな淫乱なことをしては……いやしかし、ここには誰ひとりとして私のことを知る者はいないだろう。正確には私に物干し竿を二本、コンバースのスニーカー数足、そのほか頻繁に菓子をくれたり、それに年末からずうっと十二国記全巻を貸してくれている女性が近く居を構えていると聞く。それでも知人を介してのことなので、私の面は割れていないはず。そうとなれば、どのような酒池肉林を起こそうとも、今後の生活に支障は出ないのでは。いや、しかし……。でも……。もごもごと考えながらも私の足は横断歩道を渡っていた。
 ビール、何杯飲もうかなとニコニコしていた時だった。昔ながらな店構えの喫茶店が目に入る。メニューのイラストと、大きなショーケースに食品サンプル。私は眼鏡をかけていても前方の席でないと黒板の文字が読めなかったくらい目が悪いのでよく見えなかったが、ナポリタンやとんかつ、カレーうどんといったラインナップが道行く人々にばちりとウインクしていた。私はどうやらその魅力にやられてしまい、「昼からビール」の誘惑に打ち勝つことができた。果たして勝ちなのか。
 結果的には大勝ちであった。野球のことは投げる打つ走るしかしらないけれど、ホームラン級の勝ちであった。広い店内はまばらに客がいて、コーヒーの香りが漂っている。小説なんて一本も書き上げたことはないけれど、ここで小説を書きたい! ここでハリー・ポッターを書きたい! と思った。
 五百円のランチセットと、食後にアイスコーヒーを飲んだ。行儀が悪くて大変申し訳ないが、先ほど購入した本の一冊を読みながらとんかつを食べた。自宅ではもぐもぐ食べながらぺらぺら読むのは当たり前な私だが、一歩外に出ると大和撫子らしく、可憐な姿で静かな佇まい、それはもう誰が見ても「奥ゆかしい、これぞ日本の女性のあるべき姿だ」と感涙する。しかし、この喫茶店にはどうやら呪いがかかっているらしかった。お行儀のよろしい少女が無性に活字を摂取したくなるようにするという、教育ママはさぞ欲しがるだろう呪いが。
 私は高橋由太の「もののけ、ぞろり」を読みながらとんかつを完食し、コーヒーをズコーっと完飲した。チーズケーキも食べようかしら、と思ったが、やめておいた。「奥ゆかしい、これぞ日本の女性のあるべき姿だ。しかしなんだか、すこしお相撲さんのようにも見えるね」と言われてしまっては日本の女性にもお相撲さんにも申し訳ないからだ。
 元気なおかみさんに料金を払い、「ありがとうございました!!」「ごちそうさまです」と年齢と元気さが反比例な挨拶をし、店を出る。店と外には少し段差があった。
 ぎゃあ!
 大和撫子の覆面をかぶっていなければ、私はそう叫んでいただろう。何ゆえか。それは数時間前にさかのぼり、場所は九キロほど南へ移動する。

 私は働いていた。それはもう、動体視力に自信のない御仁には見えないほどきびきびと。そしてその機敏さに、私もまた、ついていけていなかった。けたたましく鳴る店の電話に出ようと、それまで取り掛かっていた作業を止め走りだしたとき、どでかい業務用食洗器が開いてるのが見えた。あら、取り出す際にあちあちのまま掴まずにすむように、あけていたのだったわね。そう理解した時にはすでに鈍い大きな音を立てて右足の向う脛をぶつけていた。ぎゃあ! この時は確かに叫んだ。叫んだあと、立派な勤め人であるから礼儀正しく電話に出た。
 その後もしっかりと働いていたのだけれどなんだか足がずきずきと痛む。「ぶつけたのだから、痛いのはそら当たり前の話だわ」私は休憩中に向う脛の様子をうかがってみた。
 ぎゃあ!
 ぱんぱんに腫れているではないか。誰の足だ。いや、風船か? 私の足はどこへ! なむなむ、どうか神様、痛みを取ってくださいな。腫れはともかく、この痛みでは仕事がままならない。私を待つ子羊たちがたくさんいるのです! 神様は言った。「祈られるのが腹痛の時と足痛の時のみというのは、ちょっと、優先度は低いかな」そっぽを向く神様の前に、私はへたり込むしかない。
 仕方がないので足を引きずるようにして働いた。一階と二階を行ったり来たりすることがあるのだが、嫌な汗をかき「これはだめだ、足への負担が大きすぎる。階段、なんて野蛮なんだ」とぷるぷる震えた。
 そうして忙しくしているうちに何だか痛みが気にならなくなってきて、絶対に折れていると思われた足も、「なんだかいけそうな気がする」と天津木村みたいなことを言い出した。なぁんだ。いけるのか。じゃあ今日は早く帰るし、ちょっと寄り道でもしちゃおうっと。

 かくして私は岸里玉出へと降り立ったのである。しかし腹を満たしもりもり元気を取り戻す私の下で、負傷した足は九センチヒールで人間を支える負担に耐えかねていたのだ。再び法外労働を強いられそうな空気をいち早く察知した私の足は、そうはさせないと声を上げ、そしてわたしも ぎゃあ! と声を上げた。
 痛すぎる。足が痛すぎる。これはまじのまじに、今回ばかりは、ほんとに折れているんじゃないの? でも歩けることは歩けていたし……。ゆっくりゆっくり天下茶屋駅の方まで歩く傍ら、私は周辺の整形外科について調べていた。だが不運なことに本日は日曜日。一般的に病院はお休みしている。これほどまでに日曜を恨んだことはない。足を引きずりながら自宅周辺の病院を探すも、こちらも本日休診である。なぜ人は休むのか! 身を粉にして働くべし! 然らずんば、汝に災い降りかからん! 普段の私というのはあちこちで無労働論を唱え、そして同志たちからアツい同意を得ているのだが、この時ばかりはそう思わずにはいられなかった。
 帰りの電車は人であふれていた。座らせてほしい。この哀れな私にどうか席を。そう願ってみても私は元気な若者にしか見えず、譲ってもらう席もない。仕方がないのでつり革を持ち、前方の、彼女を後ろから抱きイチャイチャする中学生カップルの会話を盗み聞ぎすることで痛さを紛らわしていた。男性のほうが時々、さも愛おしそうに彼女の髪に口づける。いや、時々というか、二、三分に一度である。結構していた。私はなるたけそちらを見ないように、大阪信用金庫のWEB完結型ローンの広告をじいっと睨みつけていた。
 
 今現在、足の機嫌は治らず、依然激痛を発している。靴下を脱いで足を冷やしたり、湿布を張ってみたりしている。これがよいことなのかもわからない。ひょこひょこ移動して洗濯物を干し、晩御飯を作った。徳を積む作戦である。
 こんなにも涙ぐましい努力家なのだ、痛みをとってやろう、ついでに口座の段高にもゼロを増やしておいてやろう。と、神様がトチ狂うのを待つばかりだ。





 

キーボードを叩いていると指先が悴むようになってきた


 朝、7時に目覚めて軽く部屋の掃除をし、洗濯機を回している間に、すでにベランダでずんと堂々たる姿でつるされている洋服たちを、あるべきところへあるべき形でしまってやる。コーヒーを飲んで読書をしているうちに洗濯機がとまったのでさささっと干してしまう。リビングやトイレ、お風呂場、脱衣所の掃除まで済ませて、すがすがしい気持ちで家を出る。
 向かう場所はスーパー銭湯である。遅めの出社人たちに紛れてゆっくり歩いて30分。奇麗で風呂の種類も豊富だというのに780円と相場より安いその銭湯は、平日の朝一はほとんど人がいない。ゆえに、サウナも露天風呂も炭酸風呂も私の貸し切りである。まずは体の汚れを落とし、内湯につかる。足の先からとろけるようだ。今日は暖かくなるということだが、朝のうちはやっぱり冷える。芯まで温まり、少しぼうっとしてきたところで本命、露天風呂である。天気がいいのでとっても気持ちがいい。さわやかな秋の風とぽかぽかの太陽、暖かい温泉に、先ほどまで睡眠をむさぼっていたというのにうとうとしてしまう。
  サウナ、炭酸風呂とたっぷり堪能した後は自宅付近の喫茶店へ行き早めのランチ。エビフライとハンバーグ定食で満たした腹に、熱いコーヒーをドリップしていく。食後のお供はスティーブンソンの『宝島』である。おじさまおばさまの大阪弁がこしょこしょと耳に届く喫茶店で私は旅に出る。航海の末、ようやく宝島についたところではたと気が付き、冒険をいったん止めてスーパーへと戦場を変える。買い物かごを手にぶらぶらと食材を見て献立を考えているとスマホがぴこぴこと鳴り、そういえば昨日くらげがシチューを作っていたな、とブロッコリーやニンジン、ジャガイモを探す旅に出る。


 ここまでが、昨日の時点での、今日の予定である。
 実際の今日の私というのは、おきたくない、おきたくない、と寒さにふるえながらぷるぷる掛布団にもぐりこみ、やっとのことで起きる決心をつけたのが10時ごろ。今から用意して向かったのでは、スーパー銭湯は多分混んでいるのだろうな、と人込み嫌いの私はしょんぼりし、自宅の風呂に入った。髪をガシガシ乾かしながら洗濯機を回し、洗濯物をと入れてたたみ、ざっと家の掃除をしてごろごろ。動画を見て、本を読んで、また動画を見て。洗濯機が「終わりましたよ」と声をかけてくれても「知らん知らん」としばらく無視をしてみたが、開けっ放しにされたカーテンからあふれる暖かな日差しに当たれない洗濯物たちがかわいそうになり、重い腰を上げて彼らを回収しに行く。
 家事を一通り終えると、所用を済ましに家を出た。所用はすぐに済んだ。しかしせっかく顔の上半身のみとはいえ化粧をし、かわいらしい服を着たのでもう少し外にいたくなった。
 駅前のミスタードーナツへ寄ることにする。今日から新しいドーナツが販売されているのだ。チョコレートの美味しそうなやつ。新作三つとオールドファッションのチョコがかかったやつを買い、再びぷらぷらと歩く。太陽がまぶしく、大変に暖かい。たまに吹く風が心地よい。肩にかけたかばんには本が入っているので、どうせなら公園のベンチで腰かけて、本を読みながらもしゃもしゃとドーナツを食べよう。自宅を通り過ぎ、少し先の大きな公園へとうきうきで向かった。
 しかし、である。大半のひとが学校や職場で過ごす平日ではあるが、この時点でおやつの時間は過ぎてしまっている。つまり、遅くまで勉学に励む学生や終電ギリギリまでキリキリ働く社会人ならまだしも、走り回って遊ぶようなちびっこたちはとうに下校しているのである。
 主に昼から夜中にかけて外出する私は、すっかりそのことを忘れていた。着いた先の公園では、ちびっこが保護者同伴できゃいきゃい楽しそうに遊んでいた。
 小心者のオタクは「この状況ではとてもゆっくり本を読んではいられない。ミスタードーナツを食べようものなら、ちびっこの大群が寄ってきてしまう。それにもし、親御さんに『ゴミが出るような飲食はお控えいただいてよろしいでしょうか』なんて言われた日には、この町を出るしかない」とぷるぷる震え、自宅へと引き返した。あんなにも暖かかったのどかな道を、急に冷え込んでしまったかのように肩を丸めて歩く。なんとかわいそうなことか。
 自宅に戻ると、私は私のためにコーヒーを入れてやった。電気ケトルでお湯を沸かし、お気に入りのマグカップを出した。ドリップしながら温めたマシュマロを、あつあつのコーヒーに浮かべ、ドーナツと一緒に自室へ連れ込む。逢瀬である。
 本を読みながら公園で食べようと思っていたドーナツは、自宅でスマホやパソコンをぱちぱち弄りながら消費されている。自室は日当たりがあまりよくなくて絶妙にうす暗く、しかし、昼間なのに電気をつけるともったいないから、仕方なしに読書を一旦中止しているのだ。その割にパソコンは充電しっぱなしでぎゅいんぎゅいん言っているが、まぁ。


 そうこうしているうちに同居人の帰宅時間が迫ってきている。今朝風呂に入っているときに彼女に送ろうと思っていた一文を早くLINEで送らなくては。

 帰りに入浴剤買ってきてほしい~

 どうせ駅前まで行ったのだから自分で買えばよかったのだが、すっかり頭から抜けてしまっていた。あの時、わたしはドーナツのことしか考えられなかったのである。素晴らしき食欲。
 秋ですね。

 

 

夕焼けと白玉

 

  夕方、駅までの道を歩いていると遠足から帰宅途中と思われる子供たちと先生とを見かけた。細い道で二列を作りきゃいきゃいと歩く彼らの頭には真っ白な帽子がちょこんと乗っている。

  道路を挟んで反対側の道を歩いていたので、遠慮なくマジマジと見たけれど、私が彼らくらいの年齢の時に被っていた所謂赤白帽とはどうも違うように見えた。

  白は白だが、正面に何やらオシャレなマークが書いてあった。

  彼らは私が知る小学一年生よりももっとちみっこく見えたので、多分幼稚園児であろう。幼稚園のマークだろうか。そんな、オシャレな帽子がある幼稚園なんて。良いところの子たちなのだろうか。

  ちみっこい白いまるまるとしたものがゆらゆらぴょんぴょんと流れるように歩く様は、何やら面白かった。

  白玉がたくさん浮かんで流されているようだ。

  善哉川。高級住宅街のそばにあり、地域の人に親しまれる登美丘公園を囲うように流れる川。

  あまい砂糖で煮た豆が、とろとろとちっこく丸く白い園児たちにきゃいきゃい高い声を上げさせる。涼しい風が吹き、善哉川はゆるく波を打つ。白玉たちはきゃーと声を上げてどんぶらどんぶら蕩けた豆の中を揺られてゆく。小さな白玉も大きな白玉も、2つずつで並んで流れてゆく。

  こらー!そこの白玉、ちゃんとお手手を繋ぎなさい!

  先生白玉の声が響く。

  いや、先生は白の帽子を被っていないので白玉では無かった。

 

  しかし私は善哉が好きではない。白玉も豆、小豆も好きではない。小豆はこし餡なら食べられないこともないが、つぶとなると、皮をぺっとしたくなってしまう。白玉も、というか粉と水とを練って作ったもちもちねちねちしたものがどうにも苦手である。

  私が白玉であったとき、園では季節ごとの行事が沢山あった。季節の遠足はもちろん、春にはビワを食べ、夏にはスイカを割り、秋には芋を焼き、冬にはお餅をついた。

  お餅つき。園内の広場の中央に臼と杵をどんと置き、先生と共に杵を振り上げるのが楽しかった。それはもう、この行事のピークはそこであるという程には。

  しかし他の白玉にとってはまだまだ興奮は上り調子で、頂点に達するのは自分たちでついたお餅を砂糖醤油やきな粉で食すときであった。

  グループごとに席につき、4つの机をひっつけて中央にラップをひき、どんと白色の塊を乗せる。手を合わせて、いただきます! の声に合わせて、白玉たちはわっと白色に手を伸ばす。小さな手で小さく餅をちぎり、顔をべとべとにしながらもちもちと餅を食う。共食いである。当時の写真が実家に残っているが、皆がにこにこ片手で餅を持ち片手でピースしている中、私だけが両手でピースをしていた。餅を食え。

  大人になってピーマンやにんじん、なすびは食べりるようになったが、未だにもちは食べられない。お雑煮も苦手である。抹茶ももちろんのことだ。

  しかしオトナというと、京都ではんなりと善哉を食べ、餅をびよーんとのばし、抹茶をずずずと啜っているイメージがある。それになりたい。ほほほと笑いながら、ええ天気どすなとオトナな連れと談笑したい。したいなと思いつつ、珈琲をすすりドーナツを食すのだった。